分布型水文モデルを用いた河川生物の生息環境評価
(博士学位論文の一部)
地球圏-生物圏国際共同研究計画(IGBP)によれば、生態系と水循環の関係を説明する実用的かつ予測能力を持つモデルの構築が主要な国際的研究目標とされている。また、IPCC第4次評価報告書によれば、気温や降水量など気象条件の将来的な変化が予想されている。このため、水文水理学的要素が変動した場合に河川生物の生息環境や生物多様性が受ける影響を定量的に評価する必要がある。
河川生物の生息環境を評価する枠組みにおいてPHABSIM(Physical Habitat Simulation Model:物理環境生息場評価モデル)は近年よく用いられてきたモデルの一つと言える。PHABSIMは評価指標として、物理環境から対象野生生物の生息環境の可否を推定するHSI(Habitat Suitability Index:生息場適性指数)モデルを用いることを特徴とする。しかし、本モデルを利用した従来までの手法には課題がある。一つ目は、リーチスケールなどの局所生態系を対象としているため広域(e.g. 流域スケール)の評価が困難なことである。二つ目は、動的河川環境(e.g. 水温の年間変動、季節性の降雨に伴う流量変動)を考慮している例が少ないことである。
本研究では、流域スケールでの河道の流出、水温をシミュレーション可能な分布型水文モデルを用いて、河川生物(魚類、水生昆虫など)のHSIモデルを構築して生息環境を評価した。対象領域は宮城県中南部に位置する名取川流域(流域面積939km2)である。HSIモデルにおける説明変数として、水文モデルから計算した水温、流速、水深の年間平均、最大、最小、標準偏差に加えて、地理データ(e.g. 土地被覆)を使用した。本枠組みにより推定されたHSI空間分布図の例としてヤマメ、アユ、ユビオナシカワゲラ属、ヒゲナガカワトビケラのHSIを図1に示す。これらHSI空間分布は観測データとの比較によりその妥当性が検証されている(Nukazawaら、 2011;高瀬ら、2013など)。
また、ヤマメ、アユにおいてHSIの流域平均であるWUR(Weighted Useable Rate、1: 最も適性が高い、0: 最も適性が低い)の年間変動を評価した(図2)。ヤマメのWURは産卵期を迎えると共に上昇していることが分かる。回遊性であるアユのWURは産卵期に低下し、WURの低い間は海で過ごし、WURの増加と共に河川に遡上している。以上より、魚類の産卵や回遊等の生活史における重要なイベントが、WURの年間変動により表現可能であることを示唆された。
糠澤ら, 水工学論文集, 2010
Nukazawaet al., Ecological Modelling, 2011
高瀬ら, 土木学会論文集B1(水工学), 2013
高瀬ら, 土木学会論文集B1(水工学), 2014
分布型水文モデルを用いた生物多様性推定モデルの構築
(博士学位論文の一部)
生物の多様性に関する条約(CBD/COP)において、種多様性と遺伝的多様性の国際的保全・持続的利用が提言されている。種多様性は種数や個体数を用いた多様度指数により表現され、遺伝的多様性は同種個体間におけるDNA塩基配列の多型を生物実験により検知して数値化出来る。現地河川調査に基づく従来の多様性の評価は一般に時空間スケールにおいて限定的である。これは、流域全域に渡る調査は時間・コストの関係上困難なことが原因である。しかし、上記に挙げたPHABSIM/HSIを利用した研究に比べて、種多様性や遺伝的多様性をモデル化した例は少ないのが現状である。多様性をモデル化することで、時空間的に連続な多様性の分布を推定出来るため、現地調査や室内実験の省力化・コスト削減が期待出来る。
本研究では、宮城県名取川流域において構築された約40分類群の水生昆虫HSIモデルを利用して、種多様性を推定する枠組みを構築した。これは、グリッドセルごとに各分類群のHSI値に基づいてその在または不在を定義し、種数及び種多様度を計算することで種多様性を推定する構造を有する(図3)。本結果を用いて、気候変動や都市計画によるゾーニング、河川工事等に伴い水温・水理・地勢が変化した場合の種多様性の変動を予測することが可能になる。
糠澤ら, 土木学会論文集G(環境), 2012
糠澤ら, 木学会論文集B1(水工学), 2013
高瀬ら, 土木学会論文集B1(水工学), 2014
分布型水文モデルの出力値である年平均・最高・最低水温などを含む20項目の環境要素を説明変数、水生昆虫の環境選択性DNA領域における対立遺伝子頻度を目的変数として遺伝子座ごとにステップワイズ重回帰モデルを構築している(図4)。環境選択性遺伝子座とは、遺伝領域の中でも局地的環境要因の影響により変異する領域のことであり、Watanabeら(2014)により統計的シミュレーションを用いて推定されている。重回帰分析の結果,ヒゲナガカワトビケラの環境選択性遺伝子座21領域の中で14領域において年最大水温が最も有意な説明変数として選択された.これは,高水温域にて本種の環境適応が規定される事実を強く示唆する結果である.また,重回帰モデルにより計算した遺伝子頻度を用いて,流域内の河道上におけるヒゲナガカワトビケラのヘテロ接合度(遺伝的多様性)を推定し空間的に図示した(図4).本結果により,初めて遺伝子の観点による流域内保全優先地域の提案が可能となる.
Nukazawa et al., Journal of Biogeography, 2015
砂防ダムの存在する山地渓流における底生動物の多様性評価
(修士学位論文の内容)
山地河川に設置される砂防ダム(砂防堰堤)は、勾配の緩化や浸食の防止などの効果を有する一方、河川を分断することにより下流において土砂の均質化や河床低下が問題となる。また、砂防堰堤は人工的な滝を作り上流に土砂を堆積する不透過型と、自然河川の連続性を保ちつつ出水時に土砂等を堆積する機能を有する透過型の2種類に分類される(図5)。
しかし、これら砂防堰堤による河川分断と環境改変による河川生物への影響に関する知見は極めて少ない。
本研究では、3基の透過型・非透過型砂防ダムが設置されている山形県最上川支流大井沢川において、底生動物の生物多様性(種多様性、遺伝的多様性)を評価した。結果として、透過型ダム下流の種多様性は増加する傾向を示した。この理由として、透過型ダムのスリットにより物理的な遮断が緩和されて、上流からの有機物(水生昆虫の餌資源)や土砂の流下が自然環境下の状態に近づいた結果、下流に生息可能な種数が増加したことが挙げられる。
調査河川におけるヒゲナガカワトビケラの遺伝的パターンをマイクロサテライト分析で調べた。マイクロサテライトとは塩基配列中に出現するACACなど単純な繰り返し配列により構成され、通常の領域よりも突然変異率の高い領域のことである。本研究では4領域のマイクロサテライトを対象とした。
結果として、遺伝子Aと遺伝子Bはそれぞれ、上流と下流に多く出現することが分かった(図6)。これは、不透過ダムの勾配緩化により下流に比べて上流3地点で流速が有意に低下していた(P<0.05)ために、異なる流速環境に適応して遺伝的分化が発生したと考えられる。
また、調査河川中の群集相違度(st間での底生動物相の違いの程度)は距離が離れるに従い増加したが、遺伝距離(st間での個体群の遺伝子パターンの違いの程度)は変化しなかった。これは、本研究で対象とした砂防堰堤3基(1968〜1984年建設、2004,2007年スリット化)が遺伝子流動に与える影響は小さいことを意味する。
糠澤ら, 水工学論文集, 2010
糠澤ら, 環境工学研究論文集, 2011
Nukazawa et al., WIT Transactions on Ecology and the Environment, 2011
〒889-2192 宮崎市学園木花台西1-1
宮崎大学工学部社会環境システム工学科
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E-mail: nukazawa.kei.b3[at]cc.miyazaki-u.ac.jp
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